アラン・ズッター [スイス選手名鑑]

フルネーム アラン・ズッター
Alain Sutter
国籍 スイス
生年月日 1968年1月22日
出身地 ベルン
ポジション MF(左サイド)
身長、体重 175cm、71kg
代表出場数 68試合、5得点
所属クラブ
1985~1986 グラスホッパー・チューリッヒ (SUI/27-4)
1986~1987 グラスホッパー・チューリッヒ (SUI/27-7)
1987~1988 ヤングボーイズ・ベルン (SUI/28-5)
1988~1989 グラスホッパー・チューリッヒ (SUI/33-5)
1989~1990 グラスホッパー・チューリッヒ (SUI/29-2)
1990~1991 グラスホッパー・チューリッヒ (SUI/34-7)
1991~1992 グラスホッパー・チューリッヒ (SUI/34-10)
1992~1993 グラスホッパー・チューリッヒ (SUI/18-1)
1993~1994 1FCニュルンベルク (GER/29-5)
1994~1995 バイエルン・ミュンヘン (GER/22-1)
1995~1996 フライブルク (GER/25-1)
1996~1997 フライブルク (GER/20-4)
1997 ダラス・バーン (USA/21-2)
1998 ダラス・バーン (USA/4-0)
W杯出場
1994年 (ベスト16、3試合出場1得点)
タイトル
1989-90、1990-91 スイス・リーグ優勝
1988-89、1989-90 スイス・カップ優勝
以上、グラスホッパー・チューリッヒ
後ろに束ねたブロンドの長髪をなびかせ、左サイドを疾駆したサイド・アタッカー。そのプレイ・スタイルもさることながら、端整な顔立ちで人気があり、「ブンデスリーガNo.1の美形」といわれ、ニュルンベルク会長の秘書が、「余りの美しさに失神しそうになった」という逸話も残るほど。
スイスの名門、グラスホッパーでキャリアをスタートしたズッターは、1シーズンのみヤングボーイズにレンタルされるが、若くしてレギュラー・ポジションを掴むと、ほぼ毎シーズン、コンスタントに出場しており、1989-90シーズンには、リーグ、カップの2冠を達成している。
1993年にドイツに渡り、ニュルンベルクでも定位置を確保したが、チームの2部降格という憂き目に遭ってしまう。しかし、1994年W杯の活躍もあって、翌シーズンにジョヴァンニ・トラパットーニを招聘したバイエルンへの移籍を果たす。当時のバイエルンは、ACミランよりフランス代表ジャン・ピエール・パパンを獲得するなど積極的な補強を行い、リーグ連覇を狙ったが、トラパットーニはドイツ語に不慣れで、主将ローター・マテウスが選手生命を危ぶまれるほどのアキレス腱の怪我を負うなど、最後まで優勝争いに加わることのない不本意なシーズンであった。
代表デビューは1987年で、1994年W杯メンバーにも選ばれ、1次リーグのルーマニア戦では、シュテファン・シャプイサのアシストから先制点となる豪快なミドル・シュートを決めるなど、存在感を示した。その後、パフォーマンスがやや低下したものの、1996年欧州選手権にも出場している。
現役引退後は、スイス公共放送の解説者として人気を博した。現在でも、スイス代表の試合では解説者を務め、時折、辛辣なコメントを代表に向けることがあるものの、それは代表に対する熱い想いによるものであろう。
シュテファン・シャプイサ [スイス選手名鑑]

フルネーム シュテファン・シャプイサ
Stephane Chapuisat
国籍 スイス
生年月日 1969年6月28日
出身地 ローザンヌ
ポジション FW(ストライカー)
身長、体重 181cm、75kg
代表出場数 103試合、21得点
所属クラブ
1986~1987 マーレイ (SUI/32-16)
1987~1988 ローザンヌ (SUI/33-12)
1988~1989 ローザンヌ (SUI/21-1)
1989~1990 ローザンヌ (SUI/30-10)
1990~1991 ローザンヌ (SUI/20-13)、バイヤー・ユルディンゲン (GER/10-4)
1991~1992 ボルシア・ドルトムント (GER/37-20)
1992~1993 ボルシア・ドルトムント (GER/27-15)
1993~1994 ボルシア・ドルトムント (GER/30-17)
1994~1995 ボルシア・ドルトムント (GER/20-12)
1995~1996 ボルシア・ドルトムント (GER/17-3)
1996~1997 ボルシア・ドルトムント (GER/30-13)
1997~1998 ボルシア・ドルトムント (GER/27-14)
1998~1999 ボルシア・ドルトムント (GER/30-8)
1999~2000 グラスホッパー・チューリッヒ (SUI/21-11)
2000~2001 グラスホッパー・チューリッヒ (SUI/24-21)
2001~2002 グラスホッパー・チューリッヒ (SUI/32-13)
2002~2003 ヤングボーイズ・ベルン (SUI/34-15)
2003~2004 ヤングボーイズ・ベルン (SUI/35-23)
2004~2005 ヤングボーイズ・ベルン (SUI/31-15)
2005~2006 ローザンヌ (SUI/32-16)
W杯出場
1994年 (ベスト16、4試合出場1得点)
タイトル
1996-97 欧州チャンピオンズ・リーグ優勝
1997年 トヨタカップ優勝
1992-93 UEFAカップ準優勝
1994-95、1995-96 ドイツ・リーグ優勝
以上、ボルシア・ドルトムント
2000-01 スイス・リーグ優勝
2000-01 スイス・リーグ得点王
以上、グラスホッパー・チューリッヒ
2003-04 スイス・リーグ得点王
以上、ヤングボーイズ・ベルン
スピードを生かしたドリブルと、重戦車のような突破力を備え、左足の強烈なシュートを武器に1990年代のスイスを支えた名ストライカー。父親は元同国代表DFのピエール=アルベール・シャプイサ。
生まれ故郷のローザンヌのジュニア・チームでサッカーを始めたシャプイサは、国内リーグで実績を積むと1990-91シーズン途中で、ドイツのバイヤー・ユルディンゲンへ移籍。そこではチームの2部降格という残念な結果となったが、その活躍が認められ、強豪のボルシア・ドルトムントにハンティングされた。
移籍初年度にいきなり20得点を挙げる活躍で頭角を現すと、以降もコンスタントに得点を重ね、1994-95シーズンには12得点を挙げる活躍で、32年の沈黙を破るリーグ優勝に大きく貢献。翌シーズンにはリーグ連覇を果たし、1996-97シーズンでは欧州チャンピオンズ・リーグ、トヨタ・カップ優勝というビッグ・タイトルを手にした。欧州チャンピオンズ・リーグ決勝では、かつて1992-93シーズンのUEFAカップ決勝で2試合合計1-6というスコアで完敗したユヴェントスだった。また、シャプイサは2000-01シーズンにバイエルン・ミュンヘンのエウベルに抜かれるまで、ドイツ・ブンデスリーガの外国人選手最多得点記録保持者であった。
1999年に母国に戻ると、2000-01シーズンにリーグ優勝、自身のキャリア初となる得点王(21得点)という栄冠に輝き、国内最優秀選手に選ばれた。さらに、2003-04シーズンでも衰えをみせないプレイで再び得点王(23得点)を獲得している。
代表デビューは1989年のブラジル戦。以降は不動のエースとして君臨した。1994年W杯予選では、アウェイのイタリア戦で2点目となるゴールを決めるなど(後半ロス・タイムに追いつかれ2-2のドロー)、6得点を挙げる活躍で、スイスを7大会ぶりにW杯本大会出場に導いた。その後、1996年欧州選手権(1次リーグ敗退)に出場してからしばらく国際舞台から遠ざかっていたが、シャプイサはもはやヴェテランの域に入っていたものの、国内リーグでの好調もあって2004年欧州選手権予選に全試合出場し、本大会出場に大きく貢献した。代表100キャップは同国史上3人目となる記録である。
チリアコ・スフォルツァ [スイス選手名鑑]

フルネーム チリアコ・スフォルツァ
Ciriaco Sforza
国籍 スイス
生年月日 1970年3月2日
出身地 ヴォーレン
ポジション MF、DF(リベロ)
身長、体重 180cm、78kg
代表出場数 79試合、7得点
所属クラブ
1989~1990 アーラウ (SUI/22-3)
1990~1991 グラスホッパー・チューリッヒ (SUI/28-1)
1991~1992 グラスホッパー・チューリッヒ (SUI/26-4)
1992~1993 グラスホッパー・チューリッヒ (SUI/21-2)
1993~1994 1FCカイザースラウテルン (GER/29-8)
1994~1995 1FCカイザースラウテルン (GER/32-7)
1995~1996 バイエルン・ミュンヘン (GER/30-2)
1996~1997 インター・ミラノ (ITA/26-1)
1997~1998 1FCカイザースラウテルン (GER/32-3)
1998~1999 1FCカイザースラウテルン (GER/32-0)
1999~2000 1FCカイザースラウテルン (GER/27-1)
2000~2001 バイエルン・ミュンヘン (GER/20-0)
2001~2002 バイエルン・ミュンヘン (GER/16-1)
2002~2003 1FCカイザースラウテルン (GER/23-1)
2003~2004 1FCカイザースラウテルン (GER/0-0)、1FCカイザースラウテルン・アマ (GER/1-0)
2004~2005 1FCカイザースラウテルン (GER/17-0)
2005~2006 1FCカイザースラウテルン (GER/7-0)
W杯出場
1994年 (ベスト16、4試合出場)
タイトル
1990-91 スイス・リーグ優勝
以上、グラスホッパー・チューリッヒ
1997-98 ドイツ・リーグ優勝
以上、1FCカイザースラウテルン
2000-01 欧州チャンピオンズ・リーグ優勝
1995-96 UEFAカップ優勝
2000-01 ドイツ・リーグ優勝
以上、バイエルン・ミュンヘン
1996-97 UEFAカップ準優勝
以上、インター・ミラノ
幅広い視野と戦術眼で、中盤から後方までのポジションをこなした、1990年代のスイスを代表する司令塔。決して得点力は高くなかったが、前線へ確実なラスト・パスや潰し役などを務め、1994年には、ストライカーのシュテファン・シャプイサらとともにスイスを7大会ぶりにW杯本大会出場に導いた。
地元のヴォーレンのユース出身で、やがて名門グラスホッパーへ。ここでリーグ優勝を経験するなど実績を積み、ドイツの1FCカイザースラウテルンへ移籍を果たす。ここで司令塔として活躍、リーグ2位という好成績を残し、翌シーズンもリーグ4位と上位争いに食い込んでいる。この活躍によって、当時「FCハリウッド」と評されたタレント軍団のバイエルン・ミュンヘンに加入。この時同時に入団したのが、ドイツのスター選手、ユルゲン・クリンスマンであった。バイエルンでは、主将ローター・マテウスとクリンスマンの確執などの内部紛争によってリーグ優勝は逃したものの、UEFAカップ優勝の栄冠に輝いた。
翌シーズン、前任のスイス代表監督であったロイ・ホジソン監督率いるイタリアのインター・ミラノに移籍すると、フランス代表ユーリ・ジョルカエフ、イングランド代表ポール・インスらとUEFAカップ決勝まで進んだが、ドイツのシャルケに敗れ、個人的にUEFAカップ連覇を逃している。
1997年、1995-96シーズンに2部に降格し、1シーズンで昇格を果たしていたカイザースに再び戻ると、前線のオラフ・マーシャル、中盤のスフォルツァ、後方のミロスラフ・カドレツという軸を擁して昇格後即リーグ優勝という快挙を成し遂げる立役者となった。この時指揮を執った、オットー・レーハーゲル監督は「キング・オットー」と称賛された。翌シーズンでは、怪我人などの影響から、ディフェンスを任され、リベロとして奮戦。欧州チャンピオンズ・リーグでは準々決勝まで進んでいる。
2000年にまたもやバイエルンへ移ると、レギュラーではなかったものの、シュテファン・エフェンベルクのよきサポート役、長丁場であるリーグ、カップ、欧州カップ戦の貴重なバック・アッパーとして、欧州チャンピオンズ・リーグ、国内リーグの2冠に貢献した。とはいえ、活躍したとはいえず、本人にとっても不本意なシーズンを過ごしたのではなかろうか。
その後、三たびカイザースへ移ることになるのだが、このふたつのクラブ間を行き来する、いわゆる「ダブル・リターン」は、ブンデスリーガにおいては例がないユニークな出来事である。
代表デビューは1991年のチェコ・スロヴァキア戦。1994年W杯予選では、破壊的なシュート力を誇るシャプイサとスフォルツァの両輪ががっちりと噛み合い、イタリアに勝ち越すなど堂々の予選突破を果たし、本大会ではベスト16に進出している。その後の1996年欧州選手権にも出場した。
余談だが、選手としての能力は申し分ないのだが、時に歯に衣着せぬ発言で、代表監督・協会とトラブルを起こすこともしばしばあったようで、2001年、ヤコブ・クーンが代表監督に就任した際には、ドイツ語圏出身のスフォルツァ派とフランス語圏出身のヨハン・フォーゲル派という代表内での対立を生んでしまうこともあった。(結果、スフォルツァは代表から外れているが、これは多民族・多言語国家のスイスにおいては致し方ない現実ともいえる)






