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高原直泰 [サムライ・ブルー 2006]




 フルネーム 高原直泰
          Naohiro Takahara
 国籍     日本
 生年月日  1979年6月4日
 出身地     静岡県
 ポジション  FW(ストライカー、左ウイング)
 身長、体重 181cm、75kg
 代表出場数  41試合、17得点


所属クラブ
1995~1998 清水東
1998~2002 ジュビロ磐田 (JPN/78-32)、ボカ・ジュニアーズ (ARG/7-1)
2002~2003 ジュビロ磐田 (JPN/27-26)、ハンブルガーSV (GER/16-3)
2003~2006 ハンブルガーSV (GER/81-10)
2006~  アイントラハト・フランクフルト (GER)※2006年6月現在
W杯出場
なし
タイトル
2000年 アジア・カップ優勝
 以上、日本代表
1996年 広島国体優勝
1997年 大阪国体優勝
 以上、清水東
1998-99 アジアクラブ選手権優勝
1999年、2002年 Jリーグ優勝
2002年 Jリーグ得点王
1998年 Jリーグカップ優勝
 以上、ジュビロ磐田


 空中戦に強く、90度反転したシュートを得意とする日本を代表するストライカー。U-16アジア選手権優勝や清水東高時代、小野伸二らと国体2連覇を達成しているなど、各年代の代表も経験しているエリート

1998年、ジュビロ磐田に入団し、デビュー戦となったリーグ開幕戦で途中出場ながら初ゴールを決めるという華々しいデビューを飾っている。翌年ワールドユース準優勝、2000年シドニー五輪ベスト8進出と、各カテゴリーの代表での実績を着実に積み、2001年にはアルゼンチンの名門、ボカ・ジュニア-ズに移籍する。しかし、国内の経済混乱もあって思うように活躍できず、まもなくジュビロに復帰。さらに、2002年W杯メンバー入りが確実視されていたものの、エコノミークラス症候群のためメンバーから落選するという不運を味わう。

それでも2002年のJリーグでは、その悔しさをバネにゴールを量産。Jリーグの完全優勝を達成し、自身も得点王、MVPに輝いた。エコノミー症候群を考慮して、ドイツW杯に臨むためにドイツのクラブを探していたところ、ハンブルガーSVからのオファーを受け、完全移籍でドイツへ渡る。

ブンデスリーガ初得点は、バイエルン・ミュンヘン戦で、GKオリバー・カーンの無失点記録を止めるというおまけ付きで、センセーションを巻き起こすなど活躍したが、2005-06シーズンは出場機会が激減し、クラブに移籍を志願したが、クラブの事情で実現せず、改めて来シーズンからアイントラハト・フランクフルトへの移籍が決まっている。

イングランドの点取り屋、リネカーにベアズリーというパートナーがいたように、高原もまたジュビロで中山雅史という息の合ったパートナーがいて、その真価が発揮される傾向がある。ジーコ・ジャパンでは柳沢敦がその最有力となるが、戦術がマッチしないのか、ゴール数は多いとはいえない。前線で高原が孤立しないような戦い方が要求されるであろう。


柳沢敦 [サムライ・ブルー 2006]




 フルネーム 柳沢敦
          Atsushi Yanagisawa
 国籍     日本
 生年月日  1977年5月27日
 出身地     富山
 ポジション  FW、MF(サイドハーフ)
 身長、体重 177cm、73kg
 代表出場数  52試合、17得点


所属クラブ
1993~1996 富山第一
1996~2003 鹿島アントラーズ (JPN/178-71)
2003~2004 サンプドリア (ITA/15-0)
2004~2006 メッシーナ (ITA/29-0)
2006~    鹿島アントラーズ (JPN/5-3)※2006年6月現在
W杯出場
2002年 (ベスト16、3試合出場)
タイトル
2000年 アジア・カップ優勝
 以上、日本代表
1996年、1998年、2000年、2001年 Jリーグ優勝
1997-98、2000-01 天皇杯優勝
1997年、2000年、2002年 Jリーグカップ優勝
 以上、鹿島アントラーズ


 スペースの作り方が上手く、柔軟なポジション変更に対応できる柳沢は、ジーコからの全幅の信頼を置かれている。決して点取り屋というタイプではないが、点を取る以外の動きはそれを補って余りある使い勝手のいいFWといえる。

U-15日本代表に選出され、富山第一高時代、超高校級プレイヤーとして注目され全国高校選手権に出場。ここでは優勝した静岡学園に3回戦でPK戦の末敗れたものの、その評価は高く鹿島アントラーズに入団を果たす。1年目から出場し、2年目には18得点を挙げ新人王に輝く。翌シーズンは22得点の活躍で、鹿島アントラーズのエース・ストライカーへと成長した。また、この時期はアントラーズの黄金時代で数々のタイトルを手にした。

2002年W杯出場を果たし、イタリア・セリエAのサンプドリアにレンタル移籍を果たすが、出場機会も少なく思うような結果は残せなかった。サンプドリアに契約延長のオファーはなかったが、本人が海外でのプレイを希望したため、メッシーナへ移籍する。しかしここでもレギュラーにはなりえず、シーズン途中から本来のポジションではないMFとして起用されるという不遇の時期を過ごす結果となった。

しかしながら、以前にもましてパスの精度が上がったという評価もあり、ますますボールの無い所での動きに磨きがかかったようである。前線では、2トップのサポート的な役割が期待される。


巻誠一郎 [サムライ・ブルー 2006]




 フルネーム 巻誠一郎
          Seiichirou Maki
 国籍      日本
 生年月日  1980年8月7日
 出身地      熊本県
 ポジション   FW
 身長、体重   184cm、81kg
 代表出場数  10試合出場、3得点


所属クラブ
1996~1999 大津高
1999~2003 駒澤大学
2003~   ジェフ・ユナイテッド市原・千葉 (JPN/92-26)※2006年6月現在
W杯出場
なし
タイトル
2005年 Jリーグカップ優勝
 以上、ジェフ・ユナイテッド市原・千葉
2001年 ユニバーシアード優勝
 以上、ユニバーシアード日本代表
2002年 関東大学・リーグ優勝
2002年 関東大学・リーグ得点王
2002年 全日本大学選手権優勝
2001年 総理大臣杯優勝
 以上、駒澤大学


恵まれた体格を生かしたポスト・プレイや強力なヘディングなど空中戦に強いが、ダイレクト・ボレーなど足技も非凡なものがあるジェフのエース・ストライカー。過去にアイスホッケーの経験があるためか、献身的に動き回り、怪我を恐れない体を張ったプレイ・スタイルが持ち味。

全国高校選手権でベスト8に進出した大津高時代、国体でプレイしたDFとしてスペイン、Jリーグからのオファーがあったが、本人はFWにこだわり、駒澤大学に進学する。大学1年時からレギュラーとして活躍するものの、大学選抜にはなかなか選ばれず、ユニバーシアード代表にしても本大会直前に選出されている。それは、巻の献身的な動きを買った瀧井監督の判断だった。その判断は吉と出て、3得点などの活躍で見事優勝に貢献した。

大学4年時に深井正樹(現・鹿島アントラーズ)とともに12得点を挙げ、得点王となりチームのリーグ優勝に花を添えた。

大学卒業後、複数のクラブからオファーがある中、イヴィチャ・オシム率いるジェフ市原に入団。得点者よりも味方のためにスペースを作ったり、潰れ役になったりする者への賞賛を惜しまないオシムは、強い気持ちで献身的に動く巻にとって、最大の理解者であったに違いない。

オシム曰く、「練習では身に付けられないものを持っている」「ジダンにはないものがある」と評される巻が、これから世界を舞台に活躍する日はそう遠いことではないだろう。


大黒将志 [サムライ・ブルー 2006]




 フルネーム 大黒将志
          Masashi Oguro
 国籍     日本
 生年月日  1980年5月4日
 出身地     大阪府
 ポジション  FW(ストライカー)
 身長、体重 178cm、73kg
 代表出場数  16試合、5得点


所属クラブ
1996~2006 ガンバ大阪 (JPN/115-48)
2006~    グルノーブル (FRA/17-5)※2006年6月現在
W杯出場
なし
タイトル
2005年 Jリーグ優勝
 以上、ガンバ大阪
1998年 日本クラブユース選手権優勝
1998年 全日本ユース選手権準優勝
 以上、ガンバ大阪ユース


小学校1年生の時に当時の松下電器産業サッカー部のジュニア・チームに入団してから、トップ・チームに昇格するまでガンバ大阪一筋の生え抜き。

当初は攻撃的MFを担当していたが、その得点力の高さからFWへコンバートされた。転機となったのは2004年シーズンで、日本人最多得点となる20点を挙げる活躍を見せた。この活躍もあって2005年には決定力不足が囁かれていた代表に初選出される。代表2戦目となったW杯予選の北朝鮮戦、後半ロスタイムに劇的な決勝ゴールを決め、一躍日本のシンデレラ・ボーイとなった。その年のJリーグでも、アラウージョ、フェルナンジーニョと破壊力抜群の攻撃陣を構成し、自身も16得点を挙げ、ガンバ大阪悲願のリーグ初優勝に貢献した。

余勢をかってフランス2部のグルノーブルへ移籍。ここではフル出場5試合を含む17試合5得点という成績を残している。

大黒の魅力はなんといってもW杯予選、コンフェデレーションズ・カップで見せた決定力の高さ。頭でも足でもボールをゴールに繊細かつ豪快に送り込む。今、最も波に乗っているFWであろう。


玉田圭司 [サムライ・ブルー 2006]

 



 フルネーム 玉田圭司
          Keiji Tamada
 国籍     日本
 生年月日  1980年4月11日
 出身地    千葉県
 ポジション   FW(ストライカー、ウイング)
 身長、体重 173cm、63kg
 代表出場数  39試合8得点


所属クラブ
1996~1999 習志野高
1999~2006 柏レイソル (JPN/109-30)
2006~    名古屋グランパスエイト (JPN/12-1)※2006年6月現在
W杯出場
なし
タイトル
2004年 アジア・カップ優勝
 以上、日本代表
1999年 Jリーグ・カップ優勝
 以上、柏レイソル


巧みなドリブル、素早い飛び出しを武器に勝負する左利きのスピード・ストライカー。ペナルティ・エリアの左45度からのシュートを得意としている。また、ディフェンス・ラインの間に通すスルー・パス、正確なプレイス・キックもあわせ持ち、チャンス・メイカーとしての評価も高い。

習志野高から柏レイソルに入団するものの、3年間は出場機会が少なかったが、2002年にチームが残留争いで苦しんだ頃から徐々に起用され始め、やがてエース・ストライカーの地位を磐石のものとした。しかし、柏レイソルのJ2降格とともに、名古屋グランパスエイトに移籍している。

ジーコ・ジャパンの一員に名を連ねると、2004年アジア・カップでは重要な場面での決定力が光り、攻撃陣の核として前線で存在感を示した。

ジーコ・ジャパンの中で、ウイングとして機能できる数少ない選手で、その飛び出しとドリブルは大きな武器となるであろう。


中村俊輔 [サムライ・ブルー 2006]




 フルネーム 中村俊輔
          Shunsuke Nakamura
 国籍     日本
 生年月日  1978年6月24日
 出身地     神奈川県
 ポジション  攻撃的MF
 身長、体重  178cm、70㎏
 代表出場数 61試合、16得点


所属クラブ
1994~1997 桐光学園
1997~2002 横浜F・マリノス (JPN/148-33)
2002~2005 レッジーナ (ITA/81-11)
2005~       セルティック (SCO/33-6)※2006年6月現在
W杯出場
なし
タイトル
2000年、2004年 アジア・カップ優勝
 以上、日本代表
1997年 全国高校選手権準優勝
 以上、桐光学園
2005-06 スコットランド・リーグ優勝
2005-06 スコットランド・リーグカップ優勝
 以上、セルティック


 日本屈指のゲーム・メイカーで、長短自在のパスを操り、抜群のテクニックをあわせ持つレフティー。芸術的ともいえるプレイス・キックも大きな武器で、キッカーとしては世界に通用する選手。細い体躯をしているのは否めないが、周囲が酷評するほどフィジカルは弱くないと思われる。運動量も豊富で、ボール・キープも上手い。

高校時代に全国高校選手権に出場し、注目を集めると、U-20日本代表に高校生として唯一選ばれアジア・ユースに出場している。1997年に横浜マリノスに入団すると、ほどなくレギュラーを確保。2000年アジア・カップ予選でA代表にデビュー。トルシエ・ジャパンの左サイド・ハーフとして存在感を示し、アジア・カップを制した。その後も順調にトルシエ・ジャパンに名を連ね、2002年W杯メンバー入りが確実視されていたが、足首の怪我が長引いていたため、メンバーから外されるという不運を味わう。

怪我の癒えた2002年にイタリア・セリエAのレッジーナに移籍する。ここではポジションの問題や度重なる怪我に悩まされたが、レッジーナのセリエA残留に貢献した。2005年にスコットランドのセルティックに移籍すると、攻撃的MFとしてチームのリーグ、リーグカップの2冠に貢献した。

不思議とコンフェデレーションズ・カップで活躍する選手で、2003年にはフランス戦で素晴らしいフリー・キックを決め、フランスのレ・キップ紙から絶賛される。また、2005年のブラジル戦では豪快なミドル・シュートを決め、この試合のマン・オブ・ザ・マッチに選ばれるなど存在感を示している。

ジーコの信頼厚く、ドイツW杯では「10番」を背負う。失意を味わった2002年からはや4年。その間の海外挑戦や怪我との戦いは決して楽なものではなかったろう。しかし、ついに中村は念願のW杯への切符を手に入れた。


中田英寿 [サムライ・ブルー 2006]




 フルネーム 中田英寿
          Hidetoshi Nakata
 国籍     日本
 生年月日  1977年1月22日
 出身地     山梨県
 ポジション  MF
 身長、体重 175cm、72kg
 代表出場数  74試合、11得点


所属クラブ
1992~1995 韮崎高校
1995~1998 ベルマーレ平塚 (JPN/85-16)※現・湘南ベルマーレ
1998~2000 ペルージア (ITA/48-12)、ASローマ (ITA/15-3)
2000~2001 ASローマ (ITA/15-2)
2001~2004 パルマ (ITA/67-5)、ボローニャ (ITA/17-2)
2004~2005 フィオレンティーナ (ITA/26-0)
2005~       ボルトン・ワンダラーズ (ENG/21-1)※2006年6月現在
W杯出場
1998年 (1次リーグ敗退、3試合出場)
2002年 (ベスト16、4試合出場1得点)
タイトル
1995-96 アジア・カップ・ウィナーズ・カップ優勝
 以上、ベルマーレ平塚
2000-01 イタリア・リーグ優勝
 以上、ASローマ
2001-02 イタリア・カップ優勝
 以上、パルマ
1997年、1998年 アジア年間最優秀選手


 若くして過去に日本が出場したW杯ですべてフル出場している、唯一の選手。日本を代表するゲーム・メイカーであり、ジーコ・ジャパンの精神的支柱。フィジカルの強さ、巧みなボール・キープからスペースを作り、キラー・パスを通す。もともとはトップ下を務めていたが、ジーコ・ジャパンでは中盤の底、ボランチの位置からゲームを組み立てる。近年では、クラブでもその視野の広さを買われてか、ボランチを任されることが多くなってきているようである。

高校時代にユース代表に選出され、卒業時にはJリーグ12チーム中11チームからスカウトされたほどの逸材で、ベルマーレ平塚入団後は、アトランタ五輪代表、A代表と順調にステップを踏んだ。そして、1998年W杯予選から中盤の不動の位置を確保し、W杯初出場の切符を手にした第3代表決定戦では、ゴールデン・ゴールにつながるミドル・シュートを放っている。

21歳の若さで、イタリア・セリエAのペルージアに移籍し、そのデビュー戦のユヴェントスとのシーズン開幕戦で2ゴールという華々しいデビューを飾っている。ペルージアをセリエAに残留させた翌シーズンの途中から、当時ユヴェントスと激しい優勝争いをしていたASローマに移籍。シーズン途中からの加入にも関わらず、重要な試合できっちり結果を残し、日本人として初めてセリエAを制した。

イタリアでは7シーズン過ごし、パルマでコパ・イタリアを制したが、フィオレンティーナでは満足のいく結果は残せなかった。現在はイングランドのボルトンでプレイ。海外での挑戦は続いている。

自身のHPなどで、試合の分析・解説といったサッカーに対するクレバーな面をうかがい知ることができ、しばしば結果の伴わない代表に向けられる厳しいコメントは、中田のプロとしての姿勢だろう。しかしながら、最近では批判ばかりで進歩が見られない。結果が伴わなければ、ただの大口たたきになりかねない。


小笠原満男 [サムライ・ブルー 2006]




 フルネーム 小笠原満男
          Mitsuo Ogasawara
 国籍     日本
 生年月日  1979年4月5日
 出身地     岩手県
 ポジション  MF
 身長、体重 173cm、72kg
 代表出場数  51試合、7得点


所属クラブ
1995~1998 大船渡高校
1998~       鹿島アントラーズ (JPN/184-43)※2006年6月現在
W杯出場
2002年 (ベスト16、1試合出場)
タイトル
2004年 アジア・カップ優勝
 以上、日本代表
1998年、2000年、2001年 Jリーグ優勝
2000-01 天皇杯優勝
2000年、2002年 Jリーグカップ優勝
2003年 A3チャンピオンズ・カップ優勝
 以上、鹿島アントラーズ


 鹿島アントラーズ所属のゲーム・メイカー。必殺のスルー・パス、フリー・キックを武器に、クラブ、代表ともに存在感を示す。

大船渡高校時代、全国高校選手権に出場しベスト16に進出。U-16日本代表などを経験し、卒業後は鹿島アントラーズに入団する。入団3年目からレギュラーの座を掴み、レオナルドブラジルのレヴェルの高い選手に囲まれながら、技術は向上した。

1999年ワールドユース準優勝、シドニー五輪代表などトルシエ・ジャパンに名を連ね、2002年W杯にも出場している。

典型的なゲーム・メイカーであるが、献身的な守備も持ち味で、チーム・プレイを身上とする。中田英らの2番手に控えることが多いが、それもあってか近年は精神面での成長が見てとられ、鹿島では主将を務める。

鹿島でも薫陶を受けたジーコの教えを内に秘め、控えでも決して腐らず、W杯においても献身的に代表を支えることだろう。


小野伸二 [サムライ・ブルー 2006]




 フルネーム 小野伸二
          Shinji Ono
 国籍     日本
 生年月日  1979年9月17日
 出身地     静岡県
 ポジション  MF
 身長、体重 175cm、74kg
 代表出場数  54試合、6得点


所属クラブ
1995~1998 清水商業
1998~2001 浦和レッドダイヤモンズ (JPN/79-20)
2001~2006 フェイエノールト (HOL/83-12)
2006~      浦和レッドダイヤモンズ (JPN/25-0)※2006年6月現在
W杯出場
1998年 (1次リーグ敗退、1試合出場)
2002年 (ベスト16、4試合出場)
タイトル
2000年 アジア・カップ優勝
 以上、日本代表
1996年 広島国体優勝
1997年 全日本ユース選手権優勝
1997年 大阪国体優勝
 以上、清水商業
2001-02 UEFAカップ優勝
 以上、フェイエノールト
2003年 アジア年間最優秀選手


 中盤ならどこでもこなす、日本屈指のテクニシャン。本来のポジションはゲーム・メイカーだが、オランダでボランチを経験するなど、プレイの幅が広がった。

小学生の頃から「天才」といわれ、13歳でU-16日本代表に選出されて以来、各カテゴリーでの代表を経験する。高校時代は全日本ユース優勝、国体連覇、インターハイ準優勝と輝かしい成績を収めたが、全国高校選手権にはついに出場することが出来なかった。

浦和レッズ入団後、アジアユースで準優勝し(決勝戦は累積警告で出場停止)MVPに輝く。1998年W杯メンバーに抜擢され、ジャマイカ戦で初出場を果たした。1999年ワールドユースで準優勝し、ベスト・イレブンに選ばれるが、シドニー五輪予選で左膝に重症を負い、長期離脱を余儀なくされた。結果、浦和レッズは2部降格の憂き目に遭ってしまう。

2000年にアジア・カップ優勝、主将として浦和レッズを1部昇格に導くものの、トップ・コンディションに戻るのに苦労した。それでも、2001年に日本で開催されたコンフェデレーションズ・カップで復調。オランダのフェイエノールトに移籍を果たす。

ここで小野はボランチを任されたが、ここでの経験が「エンジェル・パス」といわれる彼の最大の武器であるパスの技術が向上したのは言うまでもなく、2001-02シーズンでは、日本人として初めてUEFAカップを制した。余勢をかって2002年W杯では虫垂炎を患いながら全試合に出場した。

オランダでは慢性的な足の故障に苦しみ、リハビリなどで出場機会が減少。2006年に古巣、浦和レッズに復帰した。

怪我をしやすいのは難だが、日本の中核の選手であることは誰もが認めるもので、トップ・コンディションでの活躍を皆が期待している。


福西崇史 [サムライ・ブルー 2006]




 フルネーム 福西崇史
          Takashi Fukunishi
 国籍     日本
 生年月日  1976年9月1日
 出身地     愛媛県
 ポジション  守備的MF、DF(リベロ)
 身長、体重  181cm、77kg
 代表出場数 62試合、7得点


所属クラブ
1992~1995 新居浜工業
1995~        ジュビロ磐田 (JPN/266-46)
W杯出場
2002年 (ベスト16、1試合出場)
タイトル
2004年 アジア・カップ優勝
 以上、日本代表
1998-99 アジアクラブ選手権優勝
1999年 アジア・スーパーカップ優勝
1999-2000、2000-01 アジアクラブ選手権準優勝
1997年、1999年、2002年 Jリーグ優勝
2003-04 天皇杯優勝
1998年 Jリーグカップ優勝
 以上、ジュビロ磐田


 ジーコ・ジャパン不動のボランチ。いわゆる「海外組」や「国内組」などポジション争いの激戦区である中盤において、最もコンスタントに出場しており、ジーコからの信頼は厚い。

FWでならしていた高校時代、相手チームの選手を観にきていたジュビロ磐田のスカウトの目に止まり、卒業後ジュビロ磐田に入団。サテライトでMFにコンバートされ、当時ジュビロに所属していたブラジル代表主将、ドゥンガの熱血始動を受け、8月にはトップ・デビューを果たした。また、一時リベロを務めていたこともあり、守備の能力も高い。

少年時代、器械体操の選手だったこともあって、日本人離れした身体能力、フィジカルの強さ、抜群のバランス感覚をあわせ持ち、滅多に倒されたりすることがない。また、驚異的なジャンプ力があり、打点の高いヘディングから数多くのゴールを決めている。

ボランチというポジションの選手には珍しく、運動量を武器にしない「動かない選手」として有名。それは優れた身体能力と師匠ドゥンガ譲りの「読み」を武器に相手を止めてしまう。反面、動かないのは体力がないためでもあり、チーム・メイトの名波浩からは「彼にアドバイスすることはないが、敢えて言うなら『動け』」などしばしば苦言を呈されている。

飄々とした風貌であるが、誰にも物怖じせずに意見を述べたり、敵地での厳しい局面でも涼しい顔をしてプレイするその姿は、メンタルに強いことを物語っている。気持ちを前面に出して戦うといった選手ではないが、内に秘めた熱いハートで、W杯でも強豪に立ち向かっていくに違いない。


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